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さて、また経済学を独学でしか学んだことない人間が、懲りもしないでマルクスに関する端書をします。

私は既存のマルクス主義はその実現を諦めるべきだ、と考えています。
実はこれは「既存のマルクス主義は商品貨幣論に貫かれている」と考えるからです。

考えてみればそれは当然で、カール・マルクスは金本位制が当たり前の時代の人なのです。
つまり、彼の経済論、貨幣論は基本「商品貨幣論」が前提です。

既存のマルクス主義の重要な要素、最終的な理想形には交換価値や、使用価値、余剰価値などの、様々な「価値の交換の(労働価値の評価に対する)適正さ」があげられます。

つまり、「価値の交換」を前提とした商品貨幣論の世界で、「交換を適正に行う人間関係」という「2人称」が無ければ「成立しようがない」のですし、それは「これが適正だ!」と判断する「絶対的価値観の設定(つまり独裁)」が前提でもあります。

主流派経済学の商品貨幣論も商品と貨幣の価値の交換が適切に行われる2人称を前提としています。
マルクスと似ていますね。
逆を言うと、商品と価値が適切に交換されないことを想定していません。
つまり1人称視点はあり得ないことになっています。
結果「商品と価値が適正に行われなかった場合、それは主従関係を生み出す」、という現実を無視してしまいます。

例えば、Aという人物がBという人物に商品を売ろうとした場合、Bの提示した金額に満足せず、Aが金額を不当に釣り上げたとします。
しかし、Bはその商品は他のどこも作っていないため、泣く泣く、Aの提示した高い金額を支払いそれを購入します。
商品貨幣論ではこれも「価値の交換を適正に行う人間関係」で処理をしてしまいます。
しかし、これは明らかにBはAに従属しており、AはBを支配している、という主従関係が成り立っています。
つまり、「商品貨幣論に基づく取引こそが長じて独裁を生む根源」です。
現実にはそれは競合他社による牽制や、法律により制限されることで緩和されるのですが、マルクス主義はこのAとBの関係を「国内に適用してしまう」ことで「独裁」を肯定してしまいます。
政府がAである場合、競合は存在しませんし、立法・執行権は政府が掌握しています。
残念ですがこれは、レーニン・スターリン主義でなくとも、本質的にマルクス主義の全体がこの根底を持っています。
つまりAが政府、Bが国民であり、AがBの労働価値を評価をし、Aが貨幣を配る主体である時点でマルクス主義が本質的に独裁を肯定する思想の構造であることは否定できません。

マルクス主義に信仰心を持ってしまった人たちは、「適切な指導者さえ得られれば」と考えましたが、スターリンの大粛清が明らかになって以降は、「適切な指導者の想定」すら止め「マルクス主義の理念は素晴らしい」と「現実に実行できないことが唯一の免罪符」として「マルクス主義の発展を諦めて」しまいます。
(因みに、経済論・貨幣論においての「適切な指導者の想定」は「国民に漏れなく貨幣を分配する神のごとき精神性を権力を握っても維持し続ける奇跡の指導者」ですが、もちろんそんな者は存在しません。)

ここで諦めたが故に、1971年のブレトンウッズ体制の崩壊に対処できなかった原因があると私は考えています。

ブレトンウッズ体制の崩壊(ニクソンショック)「ドル金本位制の崩壊」であり、つまり「世界の商品貨幣論の崩壊」であり、信用貨幣論の真の意味での始まり」です。
しかし、マルクス主義を信仰する人たちは「商品貨幣論」から抜け出した「信用貨幣論マルクス主義」に発展させることを拒絶し、マルクス主義の実践部分を死蔵してしまったと思います

今、MMTの議論が勃興していますが、死蔵していた部分をマルキストたちが衣を変えて商品貨幣論のままMMTを唱える、という状況が生まれています。
具体的に言うと「信用創造された貨幣を貨幣のプールに蓄えてそれを汲み上げて国民に配る」という考えであり、ここから、

「貨幣を刷る(本当は貨幣を民間で信用創造する、という表現が正しい)」
「企業の内部留保という貨幣プールを吐き出させるにはどうすればいいか?」
「ベーシックインカム(貨幣のプールをくみ上げて国民に分配する)」(念のため私は定額給付金は否定していません。定額給付金とBIは別物です。)
「富裕層の国債金利収入という貨幣プールが増加するのをやめるため、国債廃止したい」

などという「商品貨幣論的発想」につながります。

商品貨幣論的発想は、前述しましたが、「商品と貨幣の価値の交換が適切に行われることを前提」としています。
「貨幣のプールに蓄えてそれを汲み上げて国民に配る」という立場にある政府が、国民を対等に扱う意識を持つことや、国民が政府の理不尽な処遇に反対する反抗的立場を得ることができるでしょうか?

貨幣の発行において、商品貨幣論的発想は、政府の独裁を寧ろ肯定します。
既存のマルクス主義は商品貨幣論を捨てて新たな、信用創造に基づく信用貨幣論的マルクス主義に発展しなければ未来はない、と思います。

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