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2020年05月

金融と信用創造の関係について3(金融について まとめ)

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さて、前回書いたようなことを常々思っていた私自身が、最終的に慨嘆したのは「金融って何だろうなぁ」ということでした。

日銀のサイトでは前回の記事内容の銀行間での振込業務はこのように書かれています。
https://www.boj.or.jp/paym/outline/kg53.htm/
kg5d
丁寧に図までついています。
これでは勘違いする人がいて当たり前ですよね。
「勘違いするように書かれている」わけですから・・・。

つまり、前記事の1.で書かれているわけです。
貨幣を無から創造する2.を前提としては書いていないわけですね。

通帳に数字を書くことで生まれる万年筆マネーは日銀も現実には行っていることですし、国会の答弁でも否定していないのですが、1.以外の説明は一切が省かれています(国民に知られると都合が悪いんでしょうか?本当にイングランド銀行は素晴らしい…)。

確かに、物質であれば安心感があります。
そして説明しやすいし、私たちも非常に理解しやすい。
「B銀行→C銀行」にお金が移動する、というのは「当然の物理現象」なわけです。
「B銀行で消えて C銀行に新たなお金が誕生する」というのは現実には正しくても、「不自然」に見えます。
つまり、世間一般では1.の方が2.よりも信用できるわけです。

更に言うと、実はこの「移動する貨幣」というのは「金本位制」という「貨幣の価値は金という物質との交換ができるという信用に担保されている」という世の中においては寧ろ、そちらの方が主体であり、2.はその時代であれば「狂人の夢」と思われても致し方ないでしょう。

因みに、この金本位の時代は正確には1971年まで続きました。
今から49年前まではそちらの方が現実だったわけです。
勿論、その中においても不換紙幣への移行や逆行と悲喜交々あったわけですが。

さて、それでは私なりの金融とは何なのか、をまとめてみます。

金融とは「債務で創造される貨幣(信用創造)を、『移動する物質貨幣』として『敢えて扱う』ことで貨幣に信用を与える」ということというのが私の考えです。
「『金』という物質を『融かしている』ことを見立てている」=「金融」という、まぁ、昔の人はすごいものです。よくこの漢字を充てたものですね。

そして、察しの良い人は気づいているでしょう。
つまり1.は商品貨幣論です。
融かした貨幣のプールから組み上げる、貨幣プール論です。
貨幣が物質として、商品と交換されるのが、商品貨幣論です。
その商品が金であれば、それは「金本位制」。
米ドルとの交換であれば、「米ドル本位制」ということになります。

ややこしいのは、この商品貨幣論は「信用と価値」が完全に一体化している、というところでしょう。
交換が成立すれば、それは信用を前提としているのと同時に、金の価値、或いは米ドルの価値が、貨幣に付与されます。
この、「信用と価値の一体化」が信用貨幣論にはある意味、全く適さないのです。
まぁ、その話は長くなるので後日に回します。

何度も言いますが、この、とてもリアルに見えるために信用される1.の論理は、しかし、本当の貨幣は2.の信用創造であり1.の金融論理は「敢えて信用を付与する為に行われているオペレーションだ」ということは忘れないでください。

極論、ととらえられるかもしれませんが、誤解を恐れず言いますと、「金融=商品貨幣論」なのです。

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金融と信用創造の関係について2

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さて、前回の続き、というか
追記を行います。

前回は、貨幣は銀行から銀行へ送金振込をされる、ということはどういうことなのか、というのを表してみましたが、下記で下地がグレーになっている部分が今回追記した部分となります。


◎貨幣の振込が行われるとしたら

■「貨幣のデータの物質的移動」ならば、

1.
①Aの振込む100万円は、Bの銀行口座から、B銀行が日銀に持っている日銀当座預金に変換されます。
  ⇓
②その後、C銀行の日銀当座預金と取引されて、それが日銀当座預金から、通常使用できる貨幣に変換されてDの口座に100万円振込まれます。

③この時に日銀・民間銀行間での貨幣のやり取りに使われる取引証明が「国債による照合」だということになります。

④もし「デジタル上のデータ通知」という意味でもそれは「移動」と同じ意味です。
スピードに差があるだけで、金貨を運ぶのと、紙幣を運ぶのと、デジタルデータで通知するのは同じA→B銀行→(日銀)→C銀行→Dになります。


■「貨幣を無から創出する」という「信用創造」での送金振込なら

2.
①Aのお金がB銀行の口座から100万円消滅する。

②C銀行でDの口座に100万円の信用創造が行われる。

③上記①②は本来、連動することなくバラバラに行われる。

ということになります。


まず、何故、1.の④の追記を行ったのか、というと
「データ通知」とは「数字を物質として移動させる行為」と私は思うのですが、これを物質の移動としては認識せず、銀行の「データ通知」は「移動ではない」というイメージと持たれている人が一定数いることに気付いたからです。

私はこれは違うと主張します。
データの通知は、金貨を銀行間で移動させることや、現金紙幣を移動させることをスピードアップさせただけで、「本来物質ではない情報を、物質として移動させている」時点で本質的には「物質の移動」なのです。

そして、2.の③ですがこの追記は
「無から貨幣を想像する信用創造」というイメージを確固としたものにするため、「本来は連動していない」ということを強調するために加えました。

変なことを言うと2.は
①で1000万円が消滅し、
②で100万円の信用創造が「何故か」行われる
という現象を起こすことだってあり得るわけです。
もちろん現実には「敢えて連動性を持たせているので」そのようなことは行われないわけですが。

つまり、何が言いたいか、というと、重ねて念を押すことになりますが、
銀行の日銀当座預金があろうがなかろうが、2.は行われるし、
日銀当座預金は実際には1.の「データ通知という移動を行う際に必要」なのであって、
移動させないのであれば必要ない、というのが私の結論です。

では
本来2.であるならば、
何故、普段はまるで1.のように貨幣は移動していると、説明されるのでしょうか?

これについては実はすでに上記で結論を述べてしまっています。

先ほど説明した
 ①でB銀行でAの口座から1000万円が消滅し、
 ②でC銀行のDの口座に100万円信用創造が行われる

という現象が起こってしまうと大きく齟齬が出てしまい、きちんと振込が行われなった、ということでB銀行とC銀行では「振込すると貨幣額に変動がある」(チョロまかされる)という点で信用が損なわれることになります。

そこで、B銀行とC銀行の間に「敢えて連動性を持たせ」まるで「貨幣というデータが物質移動しているかのように『同額の消滅と信用創造』を行う」ことで、利用者から「移動させても貨幣額に変動がない」(チョロまかされていない!)という信用を得ているわけです。

誤解を恐れず言いますと、日銀当座預金という「概念」は、実際には働いていなくても(或いは存在していなくても)、まるで連動しているかのように語ることによって、変化のあった貨幣が事後処理的に「まる移動したかのように見せかけて信用を得るため」に必要なのです。

私はここで、日銀当座預金というものを貶めているわけではありません。
日銀当座預金、というものがあるから、本来あやふやであるはずの「信用創造」という実際には信用のはっきりしない「負債(借金)」「それは貨幣である」という「信用」を付与されるのです。
日銀当座預金は貨幣取引上信用を確保するためには極めて重要なものだ、ということを最後に申し添えておきます。

今回は以上となります。

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金融と信用創造の関係について1

カテゴリ:
本当にご無沙汰して居ります。
系統立てて書くことは無理だ、と悟りました。

取り敢えず、書きたいことを書き殴る、という形式のブログスタイルに変更したいと思います。
よろしくお願いいたします。

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さて、今回は金融と信用創造の関係について我流で書きます。

信用創造、というのはMMTの広まりから、金融機関で行われる貨幣の発行であり、「現金を無から作り出す方法(万年筆マネー)」だ、というのはだいぶ浸透してきています。

ですが、実際には、未だ「又貸しモデル」を前提とした理論を信用創造という人は多く、特にそれは「金融業界」の人がとても強く認識しているように思います。
100万円がA→B→C→Dとめぐり巡って、100万以上の乗数効果の膨張を信用創造と言ったりしていますね。
はっきり申し上げて、あれは信用創造ではありませんが、敢えてそれを信用創造というのであれば、あれは「ミクロ経済の金融市場限定の信用創造」です。本来の意味での信用創造ではありません。

そこで、とりあえず私は「金融」の概念をまず定義したいと思います。
勿論この定義は辞書的定義ではありません。
私独自の定義ですのでよろしくお願いいたします。

すごく簡単に言います。
金融とは「本来流れていないはずの貨幣」を「流れて移動している物質」として可視化する、一種の実体化ビュー(ビューとは視点)だと思われます。


例えば、Aの持っているB銀行口座から、Cの持っているD銀行口座に100万円振込が行われて、貨幣が送金されるとしましょう。

それを金融の取引として大雑把に表すとこうなります。

1.
①Aの振込む100万円は、Bの銀行口座から、B銀行が日銀に持っている日銀当座預金に変換されます。
  
②その後、C銀行の日銀当座預金と取引されて、それが日銀当座預金から、通常使用できる貨幣に変換されてDの口座に100万円振込まれます。

③この時に日銀・民間銀行間での貨幣のやり取りに使われる取引証明が「国債による照合」だということになります。

以上となります。
はっきりと、眼で見て貨幣が「A→B銀行→(日銀)→C銀行→D」というように物質が動いているのが分かるかと思います。

これが、実際には違うというのが私の意見です。
信用創造の概念を用いると、こうなります。

2.
①Aのお金がB銀行の口座から100万円消滅する。

②C銀行でDの口座に100万円の信用創造が行われる。

以上となります。

2.を読んで「えっ?」
と思われる方もいるかもいるかもしれません。
ですが、これが「信用創造」を前提としている場合の、「振込」という業務の真実です。

1.と2.との間に「違いはない」と思われる方もいるかもしれません。
確かにAから100万円が消え、Dに100万円が現れるという結果だけを見れば1.と2.は「全く同じもの」と思われるかもしれません。

ですが、

1.は明らかに「貨幣という物質がA→B→C→Dというように移動した」ことにより振込が行われたわけですが、

2.は移動していないわけです。

そこに物質の保証がなくても「書き込めば貨幣を生み出せる」のが「万年筆マネー」という「信用創造」なのですから「移動」という物質の概念を持たせること自体が実は違う、のです。

これが現実です。
1.は「後に移動して補填する」という点で「信用創造の否定」が前提ですらある、といっても過言ではないのです。

特に、信用貨幣で管理通貨制度の現代は、貨幣の価値は金という物質(商品)との交換を担保とした「金本位制度ではない」わけですから、2.こそが真実であることは改めて述べると、「あ、そうか」と思われる方も多いかと思います。

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さて、以上で取り敢えず今回は終了します。

今後もこのような、ざっくり説明、次回に何を書くのか予告しないで、ただ書きたいことを書き殴るタイプで書いてゆきたいと思っております。

また、しばらく休むこととかもあると思いますが、宜しくお願いします。

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